この日というか前日から、青森車両センター(存在しないでしょ既に)から郡山車両センターに向けて、青函連絡特急「白鳥」などで活躍した485系最後の配給回送がありました。
青森出身でかつ彼らにも沢山世話になった私は偶然授業が夕方からだったり千葉に帰省していたりと条件はそろったので行かない理由などなく、朝から元気に撮り鉄してきました。この日は、当時馴染み始めていた353やNN入場なんかもあって濃い一日だったもんですから、遠征記風にまとめて参ります。よかったらお付き合いくださいませ。
わが地元うすいから日暮里まで人権のjの字のかけらも感じられない6連快速で元気に上京。ちなみに高校生の頃、これに乗ってたらあまりも混んでてドアに髪の毛を挟んで涙の別れをしたことがあるぐらいです。
日暮里からは常磐線に乗り南千住へ。今頃485は田端操車場か、とりあえず特快のE531撮ろうか、そんなことを考えながらホーム先端に行くと...
あらいつもお世話になっておりm・・・ってお前マジで何してるん。
種明かし(?)をしますと、こちらはS116編成。平成31年冬の時点では運用には入らず、尾久に疎開していた為、疎開返却か何かかなとは思ったんですがね()
実はS116は出場とバイトが被って出迎えられなかった(いうて見鉄はしたんだけど)ので今回が初撮影。3月からは無事にあずさ・かいじ等でデビューを果たし、時折お世話になる事もあります。いつもどうも。
東京~神田で並走することぐらいはあるのかと思いますが、常磐線も中央線も特急街道といえど両路線の車の顔合わせって東京周辺ぐらいでしか見られない気がします。少なくとも日暮里で353を見るなんて当面ないでしょう…
私はこのあとにきた531で南千住に向かいます。
さて南千住に着いた私。
実は乗ってみたい657くんです。
...なんて言ってる場合じゃなかったのでした。
なんとこの日に限り田端を40分ほど早発した485配給はすでに馬橋付近を走行中との情報が。はぁ!?!?!?としか言いようがなかったのですが、これは情弱に付きまとう避けようのない運命ですので致し方ない。
急いで改札を出て再び入場、10連快速とかいうこれまた人権無視な電車で戻ります。上野から宇都宮線、赤羽から埼京線と適当にうろうろ乗り継いでるあたり如何に情弱で如何に混乱してたかお分かりいただけるかと思います。
埼京線で武蔵浦和に着く前、「485が吉川を通過した」との情報が流れてきました。武蔵野線の時刻表をYahooで調べたら南浦和で迎撃わんちゃんあんじゃね?と思い急いで武蔵野線へ。やってきたE231に乗りながら205も減ったんだなぁとか考えてました。
さて電車はありがたいことに定時で南浦和に到着。前日に階段から落ちて足をひねっていた私ですが、一生後悔したくない、その一心で客を避けながら早足で反対ホームに向かいます。階段を登り切りカメラにレンズを付けながら先端に向かおうとしていたら、後ろから機関車の音が。ああやばい間に合え間に合えと思っていましたが…
なんか普通に間に合いました。あと10秒遅ければ涙で見送っていたことでしょうし、危なかった。
長年の職場・青森からの雪を微かにつけていたり、検明けから半年で引退を余儀なくされた関係で未だに床下が綺麗だったりと、なんとも切なさが際立ちます…。
リメイクしている今でも485系なんて青函トンネルを140キロという国鉄車とは思えないスピードでぶっ飛ばしてそうですが、3000代の生き残りであったジパングさえも廃車となり、これでぼくが3000代に乗ることができるチャンスもなくなってしまいました。
さて、次の撮影地(もクソもエキセンじゃんね)へと追いかけ再開です。
感動の再会。ていうか光線悪くなかったし撮れたんじゃないか説ありますね、もったいないことしたなぁ…。
257が臨時快速等にも使用されていたほかそもそも定期で快速を受け持っていたのとは対照的に、353は堅実に特急運用に専念している印象が強いです。これから先どのような活躍をするのかは中の人にしかわからないことでしょうが、個人的には検査をOMで受け持つことでもない限りは浦和で353を見ることなんてないのかなあと思います。波動輸送なら257もいるしね。
大宮ではなんとも違和感マシマシな車両が出迎えてくれました。
そんなこの子も今では中央快速線の異端児として?元気に活躍中。何かの時に豊田行だと思って乗っていたら青梅行になっていておったまげたのも昨日の事のようです。
一方でちょっと早くリストラされちゃった黄色い総武線のE231のサハも置いてありました。今までお疲れ様。それにしても何だろうこの三鷹~御茶ノ水感は…。
この子たちの配給はバイトと被って撮影できなかったのが心残りです。そういえばあっという間に黄色い総武線の231-0の転用も終わってしまいました。
練習電です。
さて大宮で待つこと30分ほど。ようやくお目当ての列車がやってまいりました。136号機って元青森で時々あけぼのも担当してましたね、懐かしい…。
最後に乗ったあけぼのはこの子が牽引でした。懐かしい…。
リメイクしている今日ではとっくに成人した私、今でもあけぼのが存在していたら上野から青森まで乗車したのちアル中の刃・無限飲酒列車みたいな企画でもやりたかったんですけどねえ。
大宮での停車時間はわずか2分。特徴的な黄色い顔、回送票、古びた号車札、”485 North East Express”とでかでかと書かれた誇らしげなロゴ、豪華な半室グリーンとその風格が漂うグリーンマーク…。とにかく必死で我を忘れてシャッターを切りまくりました。そして傷んだ車体をそっと撫でて御礼を伝えましたが…まぁ泣けましたね。この時点でうるって来てました。
いい年こいた学生でもやっぱ子供の頃からの付き合いがある車両を見送るのは寂しいもんです。
さて、青森でそれぞれ特急列車に携わってきた釜と電車が去っていきました。
なんでしょうね、なんかもうこの後は涙でファインダーのぞけなかったです。あのマルチメディア11番線でひっそり泣いてたヤバいオタクなんて僕ぐらいでしょうね、おお恥ずかしい。
でもやはり寂しいものは寂しいんです。
小さい頃から憧れてきた青函連絡特急「はつかり」「白鳥」だから。ふるさとの青森に帰ると八戸や新青森で必ずと言っていいほど出迎えてくれた車両だから。(E751の方がどう考えてもいっぱい乗ってるけど)実際に「つがる」で何回も乗ったから…。初めて乗った真夏の485つがるでエアコンがぶっ壊れていて、サウナ列車の体験ができたのもいい思い出です。
A5編成の配給でも書きましたが、小さい頃から見てきた車両が消えていくのを見ていると自分も大人になっちゃったんだなって気持ちになり少し切なくなります。
ありがとうA6編成。ありがとう485系3000番代。今までの活躍お疲れ様でした。沢山の思い出を、そして楽しい鉄活をさせてくれてありがとう。楽しかったよ。
さて、それでは16時半からの大学*1に向けて甲府のアパートへと戻りましょう。さきほど2回ほどS116が登場しましたが、せっかくですから甲府に先回りして講義前に撮ってやろう思い、泣く間もなく引き返します。
しかしMVでえきねっと発券をしようとするもクレカがない。別な涙を流しそうになりながらも何とかクレカをカバンから発掘しスーあずの券を発行、急いで埼京線ホームへ。足痛いのによくもまぁ走ってんなこいつ。ていうか、クレカを財布にちゃんと入れることもできないのにカード持ってておまえ本当に大丈夫なの???*2
埼京線といったらそろそろ相鉄直通がどんな感じになるのか気になるところです…なんて書いていたこの頃が懐かしいですね。相鉄さんとJRさんの直通開始からまもなく2年、今でも新宿なんかで相鉄車を見ると新鮮な気持ちになります。
やってきたのは新宿(そりゃそう)。この「スーパーあずさ」の色、割と好きなんですけどね。スーあずの名称が消えた今、回遊のLEDの色へと受け継がれたようです。
なお当時の19Mことスーパーあずさ19号、新宿を出ると八王子、甲府、茅野…の順に停まる爆速列車でした。立川通過の是非はさておき、個人的には現行ダイヤでも時折見られる塩尻通過便の存在意義を小一時間問いたださせていただきたいところです(誰に)
途中でお隣の緩行線に特急が抜かれるという比較的頻繁に観測できる中央線ジョークを堪能しつつ、四方津では件のS116を追い抜きます。ん、あれ、アレは所定では猿橋待避だったはずでは…?
さて前の快速の遅れのせいで、最速スーあず19号も甲府に若干遅れて到着しました。さっさと精算し、大荷物なんて気にせずチャリにまたがり撮影地へ。せっかくだしS116もちゃんと撮りたいしね。
踏切が鳴り、身延線との被りにヒヤヒヤしながら構えます…
・・・
ファッ!?!?!?!?!?!?!?wwwwwwwwww
そしてまさかの313が出迎えるかのように並走。いやまぁこのスジわりと並ぶんで出迎えるも何もアレですが。
これとか、
これとか。個人的に並走や離合は好きなのでわりといつも楽しみにしてます笑。
...あれS116どこ行ったんだろ、結果として美味しい画が回収できたんで結果オーライなんですけど。きっともっと遅い時間に回送されたのでしょうが、このあと大学に直行してしまった私としては今更知る由もありませんね。
前述の通りこの後は授業なのでキャンパスに直行でした。まぁなんというか濃い一日だったなという印象です。
途中管理人の思ってることが爆発しかけて偏差値25なのがバレバレ*3だったり、そうでなくてもバカ長い記事になってしまったりとなかなかアレでしたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
そして最後にもう一度書かせてほしいです(しつこいと嫌われるぞ
たくさんお世話になりどうもありがとう、485系3000代。お疲れ様でした。
ではまた。
おことわり
この記事も言わずもがな、当時の記事に加筆修正したものです。あしからず。