いつぞやの弾丸新潟遠征の記録。毎度のごとく本館からパクって加筆修正しています。
やってきたのは上野駅。せっかく特急や新幹線にも乗れる切符だし、ってことで選ばれたのは651系1000代の特急草津ですた。651系といえば東さん初の特急として名高い名車かと存じますが、3年ほど前のこの時でも「古さ」は否定できなくても「ボロさ」「不快さ」は感じられませんでした。流石に金欠なので普通席に乗りましたがアレでも十分新型特急に喧嘩売れるレベルだなと。
新前橋でお別れ、これからもお元気で。でも冷静に考えて、同額のして料金ならどうして渋川まで指定取らなかったのか謎です。しっかりして管理人。
実家のような安心感を覚える顔ですな。とはいえ色が違うとだいぶ新鮮ですし、正直湘南色を撮りに行くのもありだなって思っちゃいますが。
もはや予想するまでもなかった。てなわけでいざ水上へGO。
新前橋で何か寝てました。これと後日の遠征帰りにすれ違ったのはまた別のお話で。
乗るのは初めましてな129でさらに北上。水上は冷たい雨が降っていました。
で、
上越国境を超えて越後に侵攻すると、そこは雪国でした。エモい。
さて新幹線ホームに上がります。今回の目的はスプリンクラーでJR SKISKIをするPとJ。結論から申し上げますとそうはイカの金かくしだったんですけど、既に退役して1年ほどとなる現美新幹線・E3系700代R19編成が停まっていました。そういえばこの頃はまだ浦佐ノアゲフンゲフン、現美新幹線が現役だったんですなあ...
車内に関してはこちらでも紹介しております。
でも残念ながら湯沢のこの日の積雪は・・・。トンネルから出てくる新幹線はかっこいいけどちょいと残念。
結局これを受けて急遽さらに北上することにしたんですよね。
反対側のホームには軽井沢発に限定すればMaxあさまとしても運用可能なP52編成がいました。当時は台風19号もコロナも知る由もなかったわけですが、P52が復活全検なるものを通り予定より延びに延びたラストランまで駆け抜けるとは思ってもみませんでしたね。検査期限に余裕のある車だっただけに、定期運用終了後に真っ先に解体されてしまったのが悔やまれます。
一応見送ったんですが、いやーんぶれっぶれじゃーん。
それでは再びローカルで北上するとしましょう。ワンマン運転もやってるんですね。
ほくほく線のHK100系でしたっけ。初めましてですね。
わかってはいたことですが、上越も1000代増えたなあと。この当時では0代が残り2本ってのも実感わかんでしたけど、今ではJ0どころかPさえもおらず、J51以降*1も決して先が長くはないと思うといろいろ考えさせられます。
続いては今回の一番のお目当てなMaxを。このE4系もこの年のこの月で登場から21周年。ちょっとだけ年上の兄貴って感じで親しんできましたので、この記事から2年10か月ほど経った今では会えないのが未だに信じられない...
というのはさておき、お前なんでせっかくのPPを面縦してんだよ馬鹿か。原画みつかったらしっかりと現像し直したいところです。てかそういや当時のMaxとき321号って新潟まで16連だったんですね。
そういえばこの23日はE353系も1周年でしたね。おめでとう。
閑話休題。
また会いましたね。ちなみにどうせ新潟まで行くのならってことでこのあと乗っちゃうんですよこいつ。だから昼飯代を浮かせる生活から抜け出せないんですね(
今日初めて通過する新幹線を撮りました。何とか見れる程度で止まってはくれたのが不幸中の幸いでしょうか。ちなみにこの後のMax(下り、通過)はホームの移動中に来ちゃったのでアレです。撮っていたらなあ。
さっきと大して変わらない写真です。E2はめっちゃ好きなんでいいんですが。
何気ラストナンバーですな。そういえばJ70~って元はといえば新青森開業にE5が間に合わないから作られたんですよね、あれから8年経ってるって本当にあっという間だなと思います。このグループもそんなに走ってんだな、みたいな。
さてお待ちかねの現美新幹線で新潟へレッツラゴー。
現美新幹線は乗る価値ありますよね、あれ。指定席を抑えるのもいいけど、自由席(ソファーとかになってたよ)でも良かったんじゃないかと思ってます。またビュッフェがあったのもエモかったです。
新潟では帰りのきっぷをMV叩いて出した後、まだしらゆきがいると知って在来線ホームにお邪魔しました。ちょいと時間がカツくて三脚を広げる時間はなかったので手持ちで。
653もいいよねえ。
新幹線まで若干時間があったのでE129をバルブ撮影。かっこいいですよね。
さて、若干とはいってもすぐにMaxとき336号に乗って帰らなくては翌日に響くので名残惜しいけれど改札を通り新幹線ホームに・・・
・・・行こうとしたら、新幹線の切符と翌日のあずさの切符がない!!!!!
新潟駅の今まで通った場所を全部走って戻って探し、使った2か所の改札も探しましたがやっぱりない。笹団子を買ったお土産屋さんにも聞いたけど、やっぱりない。在来線ホームに戻ってみたけどそれでもやっぱりない。
じゃあどこに行ったんだ?って思い、ホームの端でカバンを漁ると・・・。まあ言うまでもないですね。お察しの通りです。さて新幹線ホームまでピンチケダッシュ、そう思いカバンを背負った瞬間に乗りたかったMaxときは無情にも新潟を出ていきました。ちーん。
仕方なく(建前)もう少し新潟に残って在来線でBしていくことに。はまなすは9月以来だね、その節はありがとう。
なんだろう、9月に対面で乗り換えた時も今日も遭遇するとか流石に草生えます。はまなすは花ですが。
この当時から時が経ち新潟を訪れた回数もそれなりに増えましたが、やっぱいるんですよねこのピンクい特急。個人的には653の1000代も0代・フレッシュひたち時代ほどではないにせよバリエーションの鬼なので、金と時間があればもう少し撮って乗っておきたいところであります。
2番線入線の列車のライトがどうも129とは違うな、何だろうなって思いながら待っていたらヨンマルでした。予想外の収穫で嬉しいですねこれ。
今では東さんの管内で撮れるヨンマルってリゾートしらかみ・くまげら編成とか元青池なクルージングトレインとかですかね。いつの間にか五能のヨンマルもいなくなってしまって、津軽人としては寂しい限りです。
さて、ご一緒させていただいたお二方にお別れして新幹線ホームに入場。
まだ先行の340Cのドアすら開いて無かったので、待合室で暖を取りつつMaxとき342号のドアが開くのを待ちます。
何とかレンズに収まりましたが、前照灯点くまでは待ってられませんでした。眠かったしさ。まあでもE4もそんなこと言ってられませんよね、春までにまた来ないと。
...なんて言っているうちに月日は流れ、Maxもその輝かしい歴史に幕を下ろしました。もっと撮って乗って楽しんでやれたんじゃないのかと悔いつつも、この時も含めた沢山の思い出に感謝しています。なんかの記事で書いた「病んで新潟へと現実逃避した」ってのもこの時ですし。
こっちはBしてないです(どうでもいい)。雨だれのせいか汚れが気になります…。
上越新幹線
— あるふぉ (@Azusa_Violet) December 23, 2018
342C Maxとき342号東京行
E4系P82+P51編成 E456-117
新潟>>>>東京#あるふぉ移動中#あるふぉ遠征録2018 pic.twitter.com/9q7Fl9BlXF
さて、なんだかんだしてるうちにドアが開いたので中に入ります。2階席の狭さは1年前に身をもって思い知ったのと、混雑を避けたいので今回は1階席に参りました。
ここで1年前の思い出を(自分語り定期)。
1年前、私は受験生。E353のデビューを合宿先の食堂のNHKニュースで知った私。次の日に4泊5日の合宿を終えて家路につきました。あ、ちなみに私主将やってましたけど、サッカー部員ではなく陸上部員なので黒塗りの高級車には追突しないと思います。まだ免許も持ってないし。川越線の今は亡き(亡いわけではなかったかも)205系ハエ81編成で川越に行き、川越から川越線に乗り換え、大宮で1時間寒い中英単語を必死で書き殴りながら時間を潰し、いざMaxたにがわ412号に乗車。しかしここで私の荷物を振り返ると、「学生鞄、リュック、スーツケース、ボストンバッグ」。赤本とか半纏とか辞書とか荷物が多かったとはいえ、階段があるMaxに乗る装備ではなかった。そして2階の自由席の片側3列を一人の荷物で埋め尽くせるという…。疲れからか不幸にも乗る列車を誤ってしまったようです。ちなみに干したE2系のときは今は亡きJ8編成、こちらに乗っておいた方が良かった感ありますね。まあMax乗るのがものすごく楽しみだったのは事実ですし、後悔はないんですが。
ああこの時の話ですわ。
E4の車内の写真が見当たらないのはおそらく撮り忘れともっと乗れやってことでしょうから(あの)、省略します。成人してたらE4の21周年を祝って乾杯でもしたかったのですが、未成年なのでここは綾鷹で乾杯しておきました。改めておめでとうございました。少しでも長く走ってくれたらいいな...なんて思っていたら後輩の不幸を受けて半年ほどさらに延命。いやうーんそれだと喜べないんだけどなあ。
当時はまだ駅メモにも手を出していなかった他、心身ともに疲れていた時期だったせいか気づいたら大宮手前まで爆睡。もったいないことをしてしまいました。
そんなこんなで往路と比べて圧倒的に短い旅は終了。ありがとうMax、また会いに行きます。
以上、3年前の遠征記をリメイクさせていただきました。なんというか、あっという間に月日って流れるもんですね。思えばこの遠征から先日のE4系Max引退までも本当に短かったです。もちろん、その短い間でも「あっ」という間には語り切れない思い出を残せたのでそれはヨシってことにしますけどね。
お読みいただきありがとうございました。
*1:も何も既にJ51は廃車になっていますが