ひがなりが立ち上げた4本目のブログではおでかけの思い出を書き殴ります~~~みたいな感じの内容を書いて前の記事でご挨拶申し上げたかと思うのですが、そんな当サイトでの記念すべき第一弾の記事はMaxを追って友人と遊んできた話です。長編記事になるかと思いますが、何卒よろりんこ菊地凛子。
前書き(9月26日)
どういうわけか名古屋からおはようございました。名古屋の街は好きですが、時折横断歩道なんかで玉ヒュンしかねないのはご愛嬌。
本当は後続の102Aに乗車予定だったのですが、(名古屋での)相方の事情などを鑑みると1本早い新幹線に乗車できることが判明。発車時刻5分前にMV叩いて乗変、後ろ髪を引かれる気持ちながらも約半年ぶりのN700Sを堪能できました。
ちなみにこの前の前の日には豊橋に出かけていまして、カレーうどんのあとにのんほいパークの動物さん達にお会いしてきました。
動物は人間と違って穢れた邪悪な事を考えない*1からなお一層かわいくて愛おしく思えるのかもなと感じました。人間本位の醜い意見なのはわかっておりますがね。人間不信だなんていって被害者ヅラする気はないですけど、ぼくは人間が嫌いですし信じる価値の無い生き物だと思っていますので。
辛くなったらまた行くね。動物さんたちも植物さんたちもお元気で。
閑話休題。
皆様もご存知の通り、N700Sの荷棚には役目を終えた700系ないしN700系の車体が一部再利用されているとのこと。また一緒に旅ができると思うとなかなか深いものがあります。
…700系もあと2年いてくれたらもう少し撮れたのかなあ。
静岡あたりで車内販売員さんがいらしたので、いつものホットコーヒーと共に今回は奮発してアイスクリームも購入。シンカンセンスゴクカタイアイスってだけあって、なかなか溶けずにワンチャン東京でこれ持って乗換か?なんてちょっと焦りました…(笑
12時15分、東京着。名古屋から実に1時間39分の乗車で到着とは改めて東海道新幹線の威力を実感した次第です…。まあのぞみハザって地味に高いから貧乏学生には痛い出費でしたけど、楽しかったからいいか。
たぶん本編はここから。
ここで友人と合流し、いざ21番線ホームへ向かいます。いつ来ても東京や上野の新幹線ホームは高まりますなあ…
E1系ラストランなんかに匹敵するのではないかという数のギャラリーがいてちょっとびっくり...まあいいか、それもある意味ラストが近いのがわかる画になるし...
うわあ...
Maxがいなくなったら、「新潟・越後湯沢」行きも、2階建て16両編成も、上越なのに列車毎の停車駅案内が出るのも、なくなってしまうのかあ。
JやFの9~12号車で自由席なんてモンはまずありえないので、これも見納めでしょうか。
東京名物12分折返しということで、あっという間に車内清掃が終了し、発車3分ほど前にドアが開きました。東の新幹線を東京から使った回数なんて数えきれたもんじゃないですけど、毎度毎度清掃員の皆様の清掃スピードやクオリティには感服してしまいますね。いつもお疲れ様です。
2321Cは前述の通り、湯沢まではMaxとき+Maxたにがわとしての運転。実はMaxたにがわの1階ハザだとえきねっとトクだ値が息をしてくれるのと単純に空いていたので、我々はコチラに乗車しました。まあえきねっとでMaxたにがわ321号出すのってちょっと難しかったんだけどね。
「デッキ付近は禁煙」となるとかつて8号車って喫煙車だったのでしょうか...。でも別の場所にはデッキ付近「も」というシールもありましたのでわかりません。個人的には700系15号車博多側デッキを彷彿とさせます。
それにしてもまあ空いていたのはいいですし短区間での乗車や車内の探検なんかも否定をする気は毛頭ございませんけれど、ドタバタ走ったり途中で早々に降りるときにリクライニングを直さなかったりというのはどうなんですかねえ。
写真こそ間に合いませんでしたが、そういえば途中の区間でガラスか何かの防音壁?にMaxが映り込み、しかもそれが連結部だったので友人と沸いたのも覚えております。写真がないのは残念ですが、目に焼き付けておいたので一生忘れないでしょう。
ほっこりかも pic.twitter.com/3OllJurgbk
— ひがなり(おニュー) (@Tsugaru_13) 2021年9月29日
高崎の手前かどこかではこのような温かい放送も聞くことができました。
なんだかんだであっという間に越後湯沢。さっきの名古屋から東京で乗車したのぞみと大差ない時間で降りるので、あまり乗車した感じがなかったです...。
いつもMaxを降りるときは寂しいですが、この時はいつもにも増してあの階段をのぼってデッキを通り降りるのが寂しく感じられました。あと号車表示のアレが485系3000代のそれと似た何かを感じるので、僕はそれも好きでしたね。そんな3000代の残党が生きているジパングさんには卒業旅行で会いに行こうと思っていたらあちらも引退、南無三。
なお越後湯沢での解結なんて降りた瞬間大激パ、後ろから家族連れが走ってきてもはや民族大移動だったのでろくに見ませんでした(笑)。1634人フルに乗車していた訳ではないとはいえ、ある意味Maxのキャパが活かされていましたね…笑。小○百合子が見たら泡吹いて倒れそうですねwww もちろん一部のマニアのマナーもアレですけど、ぶっちゃけ親子連れのマナーもクソ。駅員さんに寄り添われた高齢者が頭から血を流していたのはそういうことじゃないと願いたいですね。
マニアよりは自分らしか見えていない家族連れの方が邪魔でしたけど、とりあえずP12と記念撮影。
さて、さっさと出場し予約していたニッポンレンタカーさんの営業所に出向き、お金を払って今回の車を借ります。
選ばれたのは最新型フィット君でした。およそ1日と少し、よろしくね。車種お任せ5人乗りプランで申し込んでいたので何が来るか気になっておりましたが、一応まだ初心者なので小回りの利くフィット型気動車でちょっとホッとしてました(笑)
なおレンタカー屋の方の対応が大変丁寧で、お若いですね~ぼくの子供も同い年なんですよ~なんてお話をしてくださったような。翌日に返却した際の方の対応もよく、また湯沢に行くことがあればぜひ利用させていただきたいところです。
ここから和南津までは僕の運転。高速道路は久しぶりの運転でなおかつ降雨もありましたのでいつも以上に神経をすり減らして安全運転に努めました。まあ運転好きだけどさ。
んで撮影地に到着。なんで晴れてるんだろう、さっきまで雨だったよね。何はともあれ、ここで駐車の誘導をしてくださった方には本当に感謝感謝です。
天気はダメでしたが、Max1発目。やっと沿線で撮影できたと思えば喜びもひとしおです...ってなんか今月の頭に高崎あたりで撮ってたか。北とぴあなんかも行ってみたさはありましたが、混んでるだろうしパスでよかったかな。新潟まで来れば人も少なくなるし。
今月の頭にも乗車していましたね。E7系もこれはこれで好きなので、これから来るであろう全盛期を謳歌して走っているうちから楽しんであげたいものです。ラストランが近づいてきた途端に今まで見向きもしなかったくせに本当にありがとうだの最高だのと宣ったり意味不明なポエムを書いたりするんじゃなくて、ね。
天気の回復はならず…。でも多客臨として最後の仕事をこなすMaxを見送る事ができたと思えばいいか。
後ろから見た時の顔のフォルムも独特で好きでした。Maxがイケメンかどうかは皆様の見解によって多種多様な意見があるでしょうが、個人的にはイケメンというか愛嬌のありほっこりする見た目の車両だったなと思います。
直前でAFさんが暴走し、334Cは大爆死。Maxと同じぐらい好きなE2だって撮りたいのに...くう。
暗くなってきたことですし、これにて撤退。ご一緒の皆様はお疲れ様でした。
帰りは友人の運転で湯沢へ転回。安全運転どうもありがとうございました。
国道沿いのつけ麺維新さんにて夕食。せっかくなので大盛りをいただきました。食レポとしましては、優勝。非の打ち所がない夕食でしたね。
宿へのチェックインは済ませていましたので、仮眠したり現像したりしつつアッツアツの貸切露天風呂で疲れを癒して就寝。1日目はこうして終わりました...
といいたいところですが、ここで翌日はいつどこで何を撮るかという話になりました。目星をつけていた場所は脚立必須、でも他に沿線撮影地なんてないよね…。
グーグルマップと必死でにらめっこし、時折作例も検索していくうちに「俯瞰撮影なら行けんじゃね?」という結論に行きつきました。結局我々が訪れたその撮影地での作例は見当たりませんでしたので今思えばぶっつけ本番でしたが、どうなることかと思いつつ就寝。
9月27日
実は宿から新幹線が見えました。おはようございます。
どの列車かな...
ごちゃついてますがこちらもお見送りを。
そんなこんなでいきなり美味しい朝を過ごした我々ですが、仮眠もしつつ宿をチェックアウト。お世話になりました。
少しばかり車を転がして、ガーラ湯沢の駐車場付近にやってきました。
ここでは2403Cの前8両としてやってきた後にガーラ湯沢に回送、折り返して2316Cの前8両となるP11編成を記録。
ぼくが初めてガーラ湯沢にスキー旅行に来た時もP11編成の2403C→4403Cに乗ったものですから、こうして10年近い時を経て同じ運用の?同じ編成を捕獲できて何よりだと思います。色は違うけどね。なんならあの頃は数分前にKの臨時たにがわもありまして、満席のそちらに乗れないのがちょっと残念わりにMaxに乗ってwktkしていたぐらいですけどね。
このP11編成は検査期限が9月だと聞いていますが、そうだとするとこの記事を公開する10月1日=定期運用最終日にはもうお目にかかれないのでしょうか。寂しい...
先ほどのP11を見送った後に再びフィット型気動車に乗り、別のポジションへいってみよー。途中方向転換や狭く急な下り坂などなど初心者マークを付けている身としてはちょっと怖い道もありましたが、友人の誘導により無事にクリア。友人ほんと色々ありがとう。Maxのおかげで僕の運転技術も少しは上がっていたら嬉しいですね...笑
お目当ては言わずもがなですよね。
結果としては車での移動中にガーラに来ていたようでしたが、入線を現認できなかった我々はまさかもう行っちゃった?そもそもガーラに来てない*2?なんて焦ったのも良い思い出。
そういえば2月末の爆速遠征で越後湯沢から2410Cに乗車したのですが、あの時もP14でした。あの時もありがとうね。
あの時は退勤後に職場の最寄り駅にダッシュしてバスタ新宿から泉観光さんの夜行バスに乗って翌日に撮影して、甲府に戻ってまた出勤という頭がおかしい行程を組んでたっけ。越後湯沢から高崎の短い区間ながら、帰りにMaxに乗れて嬉しかったなあ。
その時の様子はこちらをご参照くださいませ。
このあとは昼食兼お土産購入タイムということで、CoCoLo湯沢に行きました。ぽんしゅ館からのすさまじい引力はありましたが、この後も運転があるので今日は我慢。Maxで来ることは叶わないと思うけれど、E2で来ることを楽しみにしています。
将来の...僕...?おまえ一応社会人になってたんだな…その姿、お嫁さんと子どもに見られるなよ…orz
お昼ごはん。大変美味しくいただきました。新潟のお米は言わずもがな、日本のお米って美味しいなって改めて実感。米がない生活なんて考えられません。
NewdaysさんでMaxのグッズを購入して車に戻り、夜中に目星をつけた撮影地へ赴きます。国道から外れて林道をゆっくり安全に登り、目的地まで快適な運転をしてくれた友人、ありがとう。
すんげえ道だったです。ちなみに下り担当は僕だったんですけど、こういう山道好きかもしれん。ただAT車ってエンブレ効かないからそこは怖かったですがね…効かんからってパコパコとフットブレーキ踏んでぺーバーロックなんて御免ですし。
326Cが目当てでしたが、その前に来るコイツにも間に合う事が判明。あとで330Cとして会えるけれど、もちろん撮らない理由はありません。
散々乗ってきた上越のMax、こんな風光明媚な場所を走っていたんですね。そりゃ確かに2階席からの景色はトンネル以外どこを取っても最高でしたけれど、Maxのみならず上越新幹線ならびに新潟県の魅力にも気付かせてもらいました。
#新幹線を探せ
画角を変えてもう一枚。俯瞰撮影なんて普段はしないどころかおよそ3年ぶりでした。でも自力で撮影地を探して自力で辿り着き、そこで普段撮らないような写真も撮るというのは普段忘れていた撮り鉄の醍醐味を再発見できたように感じます。それが昔からの付き合いである友人と協力してのことだからなお一層というのも事実でしょう。そんな達成感をくれたMaxに、改めてありがとう。
326Cよりちょっと早く新潟を出るとき324号はE2系。ついで撮りと言ってしまえばそこまでですが、P同様に長きにわたって大変お世話になってきたJも同じぐらい大好きですから、こうして撮影できて何よりです。
引退まで最後の1カ月ってところでそれまでうんともすんとも言わなかったどころか新幹線に乗ったことすらないのに急にE4系ありがとうだの最高だの宣ってみるのは個人の自由ですけれども、そのような方々が今年3月に185系最高だありがとうだ言っていたのを見ると熱量がすごく、勉強になるなあと思います。
今は大して人気があるように思えないE2系1000代も、いつか華やかに見送られる日が来てしまうのでしょうか。
新潟の時点で1324と326の発車時刻の差は10分弱だったかと記憶していますが、長岡から大宮までかっ飛ばしていく1324とは違い326はこまめに停車していた記憶があります。乗ったの新潟から燕三条だけど。
Maxも充分にでかいけど、山はもっとでかい(それはそうでしょうね)ですなあ。甲府盆地を見下ろす時も思いますが、こうして高いところから景色を見ていると自分なんてちっぽけな存在であると再認識すると共に毎日しょーもねーことで悩んだり怒ったりってのがバカバカしくなって、少し心が軽くなるような気もしますねえ。
ピンがアレなのでアレですけど、爆速で東京へと下って行きました。またね。
期間限定とはいえ山梨に住んでいるのに、こうして俯瞰で撮影するのってなかなかありませんでした。それ故に、こうしていつもと違う撮影もいいなあと思いましたね。
この少し後にいらした方と少しだけ会話があったのですが、友人が新幹線を撮っていた旨を話すと「お、もしかしてMax?」とのこと。一般人の方からも広く認知されていた看板車両だったんだなと、わかっていても嬉しくなったものです。
そんなこんなで下山開始。ここからは全て僕の運転でした。疲労もあるので前日の関越道以上の安全運転に努めて無事故無違反で頑張りました(当たりまえ)。
ハンドルを握ることおよそ40分、浦佐駅まで来ました。ここで別れる友人が荷下ろしや着替え等を済ませている間にぼくはお手洗いとMaxの足跡(なんだそれ)を回収。通常業務に加えてMax関連のこういうお仕事もされている社員の方は本当にお疲れ様です…でもそれで21歳児・僕みたいなマニアは楽しませていただいておりますので、改めて感謝感謝です。
車に戻って友人とは涙の(?)別れ。長い付き合いである彼には今回も本当にお世話になり、絆がより一層深まったようにも思えます。仕事が忙しい中、都合付けてご同行いただき、本当にありがとう。この場にて改めて御礼申し上げます。
ここから湯沢にレンタカーを回送するのは僕一人。寂しいというか静かになってしまったというか、そんな複雑な気持ちで脚立がないために諦めた撮影地への車を走らせます…
そういえば3連休に急遽休出が決まって稲穂カットをやれていなかったなと思い、長い(いうほどでもないか)トンネルの入り口にて農道にお邪魔して撮影していくことにしました。言わずもがな農家の方のご迷惑になる事はしていませんのでご容赦ください…。
6月に新潟に滞在していた僕ですが、あの時の帰りの電車に選んだ330CもP17でした。これも何かのご縁かなあ。
もしかしたら沿線での撮影は最後かもしれず、集大成になるようにと魂込めてシャッターを必死で切りました。まあ連写が続かずご覧のありさまなんですが、それでもファインダーに爆速で飛び込んでくるPのかっこいい事と言ったらもう。妥協していい被写体ではないですが、今までありがとうという気持ちを込めて、切り位置を過ぎてからカメラを下ろし、両手を振って見送りました。
これで短いわりに濃かった合宿での撮影も終了。332Cまで待っていたかった気もしますが、それだとレンタカーの返却が遅くなる可能性が生じたのでこれにて撤退。楽しかったなあ本当に。
国道17号を南下して一路湯沢へ…途中、六日町付近のファミマさんでアイスコーヒーを購入して一服しつつ南魚沼の道の駅さんでもLINEを返しつつ休憩。あと少し安全に帰ろう…という気持ちこそあれど、後ろでやたらと煽る群馬ナンバーのハイエースとかステップワゴンとかにはドン引きでしたけどね(笑)。一応ぼく法定速度より遅くチンタラ走った覚えなんてないですけど。
そういえば友人が布教してくれた曲がありまして、それがこの"Alice in 冷凍庫"です。Maxとの思い出を思い返しながらこの曲を流してドライブしていると込み上げてくるものがありました。
他にも=LOVEの"探せダイヤモンドリリー"とか"夏祭り恋慕う"とか"青春サブリミナル"とか流してドライブしてて、なおかつ一人で少し寂しかったので複雑でしたなあ。流石に運転中に泣いちゃうと事故がほら起きるよ~♪となりそうで怖いので泣いてませんヨ。
でもこの帰りで朝に通った撮影地(?)を通った時はやはり切なくなりましたけどね。
さて、そんな感じで無事にレンタカーを返却して越後湯沢まで歩いていると…
👈水上行最終を余裕で逃した卍
— ひがなり(おニュー) (@Tsugaru_13) 2021年9月27日
ほんとはローカルで帰るはずだったんですけど、時刻を勘違いしていた為にやっちまいました。これはいけない。
結局新幹線で高崎までワープする事にしましたが、まあ僕のアホさが丸出しですねえ。学割乗車券を出してもらうにあたり訪れた越後湯沢のみどりの窓口の駅員さんが大変丁寧に接客してくださったのは流石JR東日本さんだと思いましたしほんと感謝してますけど…。
また会う日を楽しみに! pic.twitter.com/70sMnFM5Lh
— ひがなり(おニュー) (@Tsugaru_13) 2021年9月27日
入場して急ぎ足で下りホームに向かい、スマホ鉄ながらも何とか発車を見送る事ができました。さっき山から俯瞰で撮って以来のP82だね、さっきぶりでした。
これもまもなく見納め…(´;ω;`)
浦佐ノア…もとい現美新幹線と現行の列車案内。後者白飛びしちゃったけど他でも撮ったしいいか卍
越後湯沢の発車標。地味にどっちもMaxなのか。これが珍しくなる日が来るなんてわかってはいても切ないものです。
撮影は1日目の2321C下車後ですが、誠に僭越ながら僕もここにMaxへの御礼を書き残しておきました。
さて、
やってきたのはE2系1000代J54編成・とき338号。J54編成の担当でした。出費それ自体は不本意ながらもJだってPと同じぐらい大好きですから、こうしてまた思い出が増えたと思えば安いものですな。
運転がある関係でお酒は自粛気味でしたが、自由席が多く空いている事もありますしここらで酒盛り開始。E2の座席、地味に柔らかいので好きです…笑
337Cとすれ違うと間もなく高崎。
あのトンネルを抜けたあの辺は前に来たところかな。この遠征はあの時よりよっぽど満足できたな。撮り鉄としてちょっと成長できたな。その被写体がMaxでよかったな。なんて思いすこし涙腺が緩くなりそうでしたが、そんなことより高崎到着6分前に2本目の酒の蓋をあけてしまった自らの愚かさにも泣けてきておりました。
大回りでも来られる高崎は案の定そこそこ人数がいましたが、まあいいか。どうせ時間が合うなら…ねえ。
さっき303C~(316C/2316C~)2321C/1321C~330Cとして散々見送ったP17での運転でした。この子、僕の記憶が正しければ確か復活全検で延命されていた気がしますが、そう考えると今でもこうして会えるのってアレですね。それ言ったらそもそも今までPが生きてるのも奇跡みたいなもんか。その復活全検や奇跡の理由、喜べませんけどね(でも友人が言っていたE4系のPはphoenixのPってのは秀逸で座布団5500枚送りたくなりましたw)。
ぼくは中学生の頃がいじめられっ子最盛期だったんですけど、そんな時に母がくれた小遣いで時折東京駅に東の新幹線を撮りに行っていました。その時に父からパクったこのビデオカメラで当時まだ全編成山吹なMaxとか200系とか撮っていたのですが、それから10年近く経ち大人になった僕がこうしてあの頃からの相棒と共にMaxの最後を見送る事ができるのは何とも言い難いものがあります。
本気で不登校か自殺か転校を考えていたあの辛かった時期に気分転換に会いに行っていた頃が懐かしいね。思えば当初の予定から5年近く長生きしたMax、理由こそ与ロココべませんがこの年まで追いかける事ができたのはMaxファンとして冥利に尽きます。幼かったぼくも(年齢だけは)大人になりましたが、あの頃から、いやそれより前から、どうもありがとうMax。
北陸新幹線の?E7系ないしW7系を先に通すと、2407Cも発車。また会う日を楽しみに。
パッと見ガラガラなのが寂しいですが、この時間はMaxガチ勢(なにそれ)にはアツい時間帯。337Cから2411Cまで実に4本連続でMaxが下るのでメシウマでした。それこそ何かの時に上野で撮った時も…といいたいところですが、アレは20番発が2409の一本しかないからアレでしたね()
夕方にこうして多くの定期下りがある以上、Maxは最後まで通勤需要も支えていたということでしょうか。コロナ禍であれがあれなのはさておき。
さっきまで沿線で撮影していた私としては上下に通過線のある駅で適当に撮るのは正直なあ...と思いつつ、それでも撮ったあたり限界みを感じます笑
入線を流せるほどの腕はないです。
一応申し訳程度のバルブも。東京から新幹線でも在来でも大回りでも来られるだけあってギャラリーも多かったですけど、これで本当にこの日最後のMax撮影と相成りました。
P14、山吹の写真も辛うじてあれば新潟でのバルブもあるけどさ。
ちなみに高崎にもこのような掲示が。これはもうパン人だって嫌でも認知しちゃいますね笑
そんなこんなで高崎を撤退。Maxとまた会う日を楽しみに…。
そんなこんなで1泊2日のMaxを追っかける遠征は終了。
写真それ自体には反省点も残ります。しかし編成・俯瞰・風景で撮れたこと、そもそもは平成28年度で引退していたはずの車両をこの年まで楽しめたこと、地図と睨めっこして諦めずに撮影地を探して何とか撮れたこと、最近すっかり忘れていたこの趣味の楽しさに気付いたり新たな楽しさを発見したりできたこと、友人との絆もさらに深まったこと、そしてここまで本気で撮れたのがMaxだったことなど、達成感が大きかったようにも思えます。
改めて、この遠征でお世話になった皆さま、どうもありがとうございました。特に東京から翌日の浦佐までご一緒いただいた友人には感謝してもしきれません。
そしてMax、楽しい時間をどうもありがとう。正直なところ幼少期からの数えきれない思い出が既にあったとはいえ、さらに新しい思い出が増えて充実した時間を過ごせて何よりです。
この記事は定期運用最終日に公開しますが、定期ラストや団臨など、まだMaxと思い出は残せるかと思います。まだお別れじゃないはずですから、あと少しどうぞよろしくね。
蛇足
写真は高麗川での撮影ですけど、高崎からは久しぶりに八高線の非電化区間で内燃車の旅を楽しみました。やっぱディーゼルっていいよね。また乗りに行きたいところ...ってそういえば山梨離れる前に小海線も行かなきゃ()
一応泡メモでは赤新駅が多かったんでレーダーもばらまきつつコンプ。でも駅間で寝落ちしている時に見た夢が私の運転で事故を起こすといういや~な夢で、大変目覚めが悪かったものです笑
2172Eはカワ42編成。なんかところどころに怪レいカメラが付いていたのは…まあそういうことですかね。
それはそうと、ついこの間まで黄色い総武線でよくお世話になっていた彼らがここにいるのもまた、未だに信じられないような気もします。あとやっぱり椅子が硬い。
2分の乗換時間ではありましたが、八王子で5157M(左)に乗車して甲府まで爆睡。特にやることもなく飯だけ買って直帰しました。
翌日からは通常授業が始まる絶望に打ちひしがれての帰宅。本当に夏休み最後に駆け込む形になってしまいましたが、気分を入れ替えて頑張っていこうと思います。卒論もそろそろ本格的にやらなきゃだし、入試も増えるし。
こんなもんですかね。10,000字を超える記事なんてなかなか書くことがありませんし、ここまでちんたら書いてるあたり自分も酔狂なMaxヲタクだなと思いますが、まあいっか。
ここまでお読みくださった方がどれだけいらっしゃるかわかりませんが、長々とお付き合いいただきありがとうございました。
管理人の今後を決める入試がこれから多くなりますのでこんな気合の入ったおでかけは当面できないかと思いますが、春休みなんかにもぽつぽつと書いていけたらと思います。
ではでは~~~。