お出かけ日記は久しぶりの更新です。
ちょっと卒論に引っ越しに何にと追い込まれている(悲劇のヒーロー風)管理人ですが、2月のMax遠征のうち2回目のものが2本の記事を分割しており、また当時とは状況が違うことや失言等々鑑みて書き直すという建前でこちらのお出かけ日記に残しておこうかと思います。
本編
この記事の2週間ほど前にMaxを撮るべく新潟遠征を決行した管理人ですが、正直敗北気味であったのは皆様の目にも明らかでありましょう。
この趣味にのめり込むきっかけとなったE4系、最後の冬なのに指をくわえて撮らずにステイホーム(爆笑)しているのはヲタク失格って誰が言ったのかは知りませんが誰も言ってないでしょ、何はともあれ弾丸で撮りに行ってきました。長い記事になりますがよろしければお付き合いの程よろしくお願いいたします...。
2/25
仕事こそあれど早めに切り上げて帰宅し荷物をまとめ即甲府駅へ。最終あずさ後続のローカルはN611編成でした。松本方面からのローカルとの接続待ちで5分ほど遅れて発車したはずなんですけど、高尾にはほぼ定時で着いてくれて助かるラスカルでした。運転士さん車掌さんありがとうございました。
ミラーレス時代の拙い写真ですみません。高尾からはT20編成の特快で…行こうとしたら途中でお手洗いに行きたくなって立川で降りたり中野あたりで再び死にかけたりとアレでした。
そりゃ211系でこんなことしてたらそうもなるか。窓開けする前からスーパービューすきま風号でしたからね。一応窓開けしたらしたで振動のせいか経年劣化のせいか10分後には勝手にしまっている始末だし。
オレンジの中央線はさっさと全編成にお手洗いを設置して欲しいところですが(酒盛りしてお手洗いが近くなってもおkなので)、寂しいことに?それが完了する頃には僕自身が中央線どころかJR東日本の沿線にいないでしょうから関係ないか。
新宿で下車後にバスタ新宿から泉観光さんの新潟行高速バスにて三条燕までビュン。改めて、バスもいいよなぁと思える旅でした(その割には結構寝ていましたけどね僕)。
Pを追うにもJを追うにも今後ともお世話になることでしょう。運転手さんありがとうございました。
2/26
燕三条にて
午前5時半前にバス停で降りて10分程歩いて新幹線の駅へ。新幹線の改札は5:50から改札開始でしたので、缶コーヒーをすすって時間を潰しいざ入場。ここまでが長いですね、ごめんなさい。
まだ日も昇らない中ですが東京行始発列車がきますた。J56は未撮影でしたので美味しい収穫、いやきっとはやて号で一度ぐらいはお世話になっているかと思いますがね。
9号車以外すべて自由席だそうで。中央線特急に毒された馴染んだ管理人には自由席って響きが懐かしいです。笑
なんか1分ほどの停車ですぐに上っていきました。ちょうど待合室にいたのと副本線に入る列車があるとは思わなかったので適当ですが、これって錆取りか何かも兼ねているんですかねえ。なおこの前にはE7系(今回はF22編成でした)の回送も上って行ったのですが、こちらは待合室でボケ――――っとしている間に何か通過していたので知りません。ピンク帯めっちゃセンス良くて好きなんですけどね。
302C、改正後はE7系に置き換えられてしまうとのことで...。2階建て12両編成とか2階建て16両編成とか今でもwktkします。なんて思っていたらMaxの引退後にはJに持ち替えになったようですけどね。
そんなこと言っているうちに新潟から16連のMaxが入線してきました。最低気温となる時間帯ですし思いきりスプリンクラーに期待していたのですが、敗戦。
そういえば春改正で2本とも引退してしまいましたね。
あ、元々浦佐で撮る予定だったのでこいつに乗りました。
16連いいよねえなんて思っていたら後ろのP22は1本しかいないらしい日本海美食旅ラッピングでした。わあい。
まあ乗り遅れると詰むので適当に撮っただけなんですが()
どうせ短距離だし人もいないだろう!という事で久しぶりに2階席に乗車。やぱり眺めの良さではMaxの2階しか勝ちませんね(?)。なお乗車した13号車(=8連の5号車)も自由席だったので、3+3のベンチシートではなく普通の2+3のリクライニングシートでごぜえました。
ピントが怪しいですが、やはりMaxの壁感は独特で好きですね。もういないのか…寂しいなあ。
名残惜しいですがMaxとは一旦お別れ。上越新幹線がどうという訳ではないどころかむしろ新潟まで2時間せずに行くことができるので凄い路線だと思うのですが、それでもMaxに乗ることができる時間がどう頑張っても短いという意味では、僕専用Maxはやて号の運転が望まれるところです(つまらん冗談はこの辺にしておきましょう)
さてさて下りホーム東京側に行ってみるとスプリンクラーさんが仕事しているじゃないですか。キタキタキタキタ!
240km/hといえど爆速で突っ走るE2系かっこいい~スプリンクラーがいい味出してる~~~けど編成番号がわからない。やらかした。ちなみに304Cですた。
撮りたかった画でございます。ありがたい。いくらMaxが本命といえどE2系も好きですから、これはありがたい。E4が消えて次は彼らでしょうから、こちらもそろそろ気合を入れていかないといけないんですけど金がないんですよねえ。あゝ無情。
未だに上越新幹線でJを見かけるのは違和感しかないのですが、そんな僕も3年前に一度301Cに乗っているんだよなあ。管理人もそろそろ脳みそをアップデートしてほしいものです。
せっかく306CでP81が来るからって待っていたらあろうことか発車5分前にスプリンクラーは停止。
あと308Cでしたっけ、F4での代走?だったんですけど発車後までそんなこと考えてもおらず撮りませんでした。もったいないったらありゃしない。
構図も構図ですが何のために夜行バス飛び乗ってきたんでしょうなぁ...。残念かも。
よく見るとピントも微妙…orz
そろそろ新しい機材も欲しい所です。
で、305C。
直前まで舞っていた粉雪さんもログアウトして微妙ですが、16連を湯沢以北で撮ることができたと思えばおいしー!な収穫でしょう知らんけど。長野新幹線対応の編成はやけに見かけるように思えてPそのものが減っているだけなんだろうな、悲しい。
東北新幹線時代のP+Lな15連が懐かしく感じるのはもちろんですが、それでもやはりP+Pの16連はかっこいい。3月の改正以降は16連の運用のうち新潟発着のものはE7系に置き換えられてなくなってしまうそうで、大変残念です。まあでもそう言いつつも、E7系(とW7系)は非常に快適なので実際に乗る分にはいいんですけどね。
適当にトリミング。スプリンクラーや降雪があればもう少し絵になったのかもしれませんが、こればかりは仕方がない(定期)。16連が撮れたからヨシ、としませう。
同業さん数名とのお出迎えでしたのでそれなりに会話もあったのですが、やはりMaxっていいよねえって結論になったのでE1系であれE4系であれMaxはいいぞ。ということにしておいてくだちい。
こちらのMax僕があと10年早く生まれていたらもっと撮れただろうになぁ...。コンデジでの駅撮りばかりな上に編成写真が実家のどこかにしかないので写真は載せられないですが、E1系も好きです。ラストランが僕の13回目の誕生日だったのは偶然だったのでしょうが、おかげで切なくも思い出に残る誕生日だったな…と思います。中学の時もいじめられまくりで学校嫌だったしね。
そういえば後ろ8両のMaxって中学生の時に家族旅行でガーラ湯沢にスキー目的で行った時のMaxだっけ、その節はどうもです。あの時は確かJRの佐倉まで車で行ってE217系の快速と往復E4系という今思えばガキンチョが羨みそうな組み合わせで行きましたなあ、懐かしい。いい加減JR千葉の電車も撮らなきゃ…。
もう見ることができない光景かと思うとやはり悲しいですね。10年ぐらい前にはE4系Maxの引退が2016年=平成28年と報じられていた事やその後の震災や台風による被害を鑑みると正直喜べないもののむしろ長生きしすぎなのではと思ってしまうのはさておき、何歳になっても好きな車とのサヨナラには強くなれないようです。
別にE4系は新津の鉄道資料館?に保存されている訳ですし、その気になればこれからもいつだって会える訳なんですけどね。
同業様にご挨拶したり色々とご教授くださった方とSNSで繋がりタイガーさせていただいたりして、当初の予定通りこれにて撤退。改めて皆様お疲れ様でした。
正直激パになるのかなぁなんて思っていたらそうでもなく平和に撮れて何よりだなあと。性格の悪いことを申し上げると、くれぐれも武蔵野線205系や185系踊り子号みたいに引退前数週間でガキンチョがどっかから沸いてきて大荒れにならないで欲しいです。てかはまかいじどうした。どことは言ってませんヨ。
帰りはE2系1000代。これまた未撮影の編成なのでおいしーかも。皆様もご存知のようにE2系1000代って号車によってモケットの柄が異なるので自由席車両のうちどちらにしようかな~と迷いましたが、今回は前回と違う緑系の号車を選びました。
余談ですが、管理人がはやて号のE2系1000代のお世話になるときって大抵がそのモケットだったな~たまには紫の車両がいいな~なんて思っていたこともありました。往復のE2系のうち往路のはやて13号はそもそも0代ばかりでしたけどねん。0代の座席によって異なるモケットや小窓に日立GTOも懐かしいものです。
閑話休題。実は高崎から八王子まで偶然にも予定が合った知人が車に乗せてくれるはずだったのですが、どうしてもこのまま帰るのは悔しいので急遽少しだけ居残り。知人にはご迷惑をおかけ…したと思ったら知人も用事が長引いていたらしいのでよかったかも()
先程見かけたF22が309Cで帰ってきたので、2403Cのうち後ろのP14と一緒に一枚。P14最近よく会いますねえ。どっちもかっこいいですねえ。東の車両って思えばハズレがないようにも感じます。
未だにJ70以降をこちらで見かけるのは違和感があるのですが、初めて上越に入るそれを見た中3の夏はちょっと沸いた記憶もあります。
そんなJ70以降の進化型E2(?)も10年後には置き換えられて存在しないのでしょうね。時の流れって本当に早いもので、改めて日々の記録って大事なんだなって思います。そう言いつつこの管理人は今にもなってE257系0代を追いかけるなんてしていないのに何をゆう*1早見優って感じですが。
時間帯的に前回の遠征でも撮っていると思うのですが、それはさておきE2系最新のJ75編成ですた。記憶が正しければ新青森開業時の新青森発一番列車なはやて号はこいつでの運転だったように思います。ふるさとまで新幹線が来た時の喜びは今でも覚えていますので、なかなか10年前の出来事とは思えません笑。上越新幹線の電車を撮りに行った記事で書くのもアレですけど。
…この時点で出勤まで10時間を切ってはいましたが、体内もコロナ対策でアルコール消毒!wってことでNEWDAYSさんにて氷結*2を1本だけ購入。待合室に行こうかと思ったら…なんと新潟寄りでスプリンクラーが仕事をしているだと!?!!?
316CはMaxでの運転ですから、もし撮れるならばこのチャンスを捨てるわけにはいきません。とりあえず新潟寄りに行って安全を妨げなさそうな場所で撮ることができるのなら…と大急ぎでロケハンをすること数分。
なんかさっきも見たような気がしますがP17編成が来ますた。ってそうじゃなくて!スプリンクラーが仕事をしている!Maxがその中を入線してくる!やばいかも~!
JR SKISKIのCMのアレみたいにスプリンクラーの水の中を堂々と?Maxが入線。いくらこの日が寝不足でも、いくら勉強とバイトの両立や人間関係に疲れ切っていても、そんなものは全部吹っ飛ばしてくれたようにさえ思います。正直妥協カットではあるものの、せっかく登場からずっと雪国と東京を結んできた新幹線を撮るわけですから一度ぐらいこれが撮りたかった。反省点はあれど満足です、ありがとうございました。
なおお断りさせていただきますと、あまりにも危険な撮影の仕方はしておりませんのでその辺りはご容赦ください。流石に電車撮ってて線路に落ちるなんてだっさい事はしたくありませんし、駅員さんに怒られてご迷惑をかけるのも申し訳ないしね。
…何はともあれ、スプリンクラーの水の中やってくるMaxを撮りたかった管理人はこれにて満面の笑み(キモヲタスマイルともいう。)にて撤退…
の前に下りMaxもあるんで流石に迎撃。前回の遠征ではP82か何かだったような気もします。
ガーラ湯沢行きMaxも今シーズン限りでしょうか。初めてのガーラ湯沢は往復共にPだったので切ない...。まあ、あの頃はKの臨たにがわが満席で乗れないと知ってちょっとガッカリしていたものですが、今思えばあの時にもPに乗れたならいいじゃんって思います。懐かしいですね、東北新幹線の花形が編成JRのはやこま、準速達の中堅がPLのMやまつば、時折やまびこ・なすので活躍するKだったり上越新幹線はM,P,Kで成り立っていたり長野新幹線はNしかいなかったあの頃。中高大と絵に描いたような陰キャ人生を送っている僕にとって、ある意味あれも一つの青春だったのかななんて。
このホームの新潟寄りには柵があるので柵の内側からカメラだけちょこっと出しての撮影ですが、スプリンクラーの水を浴びて終着駅に向かうMaxを...。上越新幹線でMaxに乗っていると1階席なら冬限定でスプリンクラー体験ができるので、それも好きでした。久しぶりにスキーもしたいし、副業で稼いで春スキーでもしにガーラ湯沢行こうかなあ。
思えば東北新幹線からMaxが撤退して9年半近く経つわけですが、世代に関係なく新型車両に引けを取らない人気を誇るMaxもあと少しでバイバイ。写真にこそなくても管理人の心には数えきれない思い出があります。新幹線は13年使ってしまえば減価償却も終わるでしょうから、E4系が決して喜べない事情で今でも動いているのはむしろ凄いことだと思いつつ、それでもこの趣味の原点となった電車とのお別れが近づいているのは寂しい限りです。幼稚園に入る前の僕の夢が何かといったらMaxの運転士だったぐらいですから。
昨今のコロナのおかげで自粛だマスクだうるさい世の中ですが、前回の遠征で乗車したMaxたにがわ号は満席。4073Cは8両といえど、そのキャパシティを遺憾なく発揮していたことでしょう。管理人個人は新型コロナウイルスへの考え方は政治同様に千差万別と考えておりまして、それもあってコロナがどうとはあまりインターネット上で主張したくないのですが*3、それでも最後の冬もMaxが自慢のキャパを活かしてスキー需要を支えていたのは大変エモいと思うのでした。
コロナはさておき、Maxが最後まで大きなトラブルもなく走ってくれることを切に願います。あと少し、思い出のアルバムのページを乗車や撮影で増やすことができればいいな。キモヲタなので、そう思えば労働量を増やすなんておちゃのこさいさいなのかもしれません。
この後は3勤目となるバイトもありましたんで、途中まで新幹線ワープ。当初は314Cで乗りとおして知り合いの車に乗る予定でしたが、かくかくしかじかで時間も合わせられたので思いがけずMaxたにがわで帰ることができるようになりました。P14編成といえば前回の遠征の往路でもその前にE3系0代R編成のお葬式をした際にもお世話になりましたね。
結局P14は最後まで本当にお世話になったなと懐かしく感じます。
写真は302Cでの撮影ですが、Max特有のデッキのこれが好きでした。僕もいい歳こいて何を言っているのかって感じですけど、Maxらしいというかなんというか。
この光景が見られるのもあと少し、なんか寂しいですねえ。
…なんて言っているうちに下車駅の高崎。有人ラッチで特急券叩きつけて議員パス見せてえらっそうに出場したあさま609号の乗客と思われる国会議員先生様(爆笑)はどうせコンビニやスーパーでもイキっているのでしょうから国民様の税金で飯食うのはやめていただきたいという偏見はさておき、そんな感じで爆速弾丸遠征は終了。
疲労と出費はバカになりませんでしたが、一応悔いはありません。最後の最後でおそらく群馬選出であろう腐った政治家に気分を害されたのはさておき、撮りたい画を曲がりなりにも撮ることができたのでいいでしょう。
なんだかんだ長くなってしまいました。多分8割はどうでもいい話だったんでしょうな、サーセン。
改めて、撮影地でお会いした同業者様や便乗させてくださった知人に御礼申し上げるとともに、お読みくださった皆様にも御礼申し上げます。ありがとうございました。
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最後までご覧いただきましてありがとうございました。弊ブログの本館でE4系Maxに言及している記事はまだまだ他にもありますので、最後の思い出作りなどの参考になれば幸いです。是非ご覧くださいませ。
また別館にて乗車記も出しております。Pのロザは良いぞ。よかったらこちらも見てあげてください。