数日前に投稿したけれどなんか恥ずかったんで消しました。でもかけがえのない思い出を記憶に残しておきたいので、めずらしくシラフで書いていこうと思います。
令和3年9月30日
前回の遠征からわずか3日。困った時の頼みの綱・有給を前月に入れておいてちょっといつもより多めの給料を手にした管理人は、悩みに悩んで最終特急・あずさ60号にて都内に向かいます。
この2本での運行でした。60Mなんて36M時代以来の乗車でしたが、コロナ禍や緊急事態宣言等もあり、そこそこ空いていたのでヨシ。
新宿では7番線に入線してくれたおかげで、8番線にいたオレンジの快速電車にシームレスな乗換ができました。JR東日本さんさっすが~~~。
Suicaで甲府から入場していたので、足早に東京で出場し入場券を買っていざ22番線・23番線ホームへ...。
直前到着でしたのでスマホでの撮影ですが、せっかく同じ時間に同じ駅にいるなら撮りたいよね。
当たり前だったこの光景・・・個人的には、中学生の頃によくガラケーとビデオカメラ持ってMaxはじめ新幹線を見ていたのが懐かしいです。あの頃は全編成が山吹でしたけれど。
Maxの新塗装は未だに慣れないと思いつつ朱鷺色もよく似合っていましたね。
そういえば東京からの最終新幹線って23時ちょうどのたにがわ477号でしたっけ(違ったらスマン)。あれも半年とちょっと前の改正まではPPだったのになあ...。
なんかこの回送って表示、寂しいなあ。
てな感じで隣にいたUZより短い折返し時間で東京を去っていきました。2416Cに充当された編成は翌日の303Cから2407Cまでほぼ一日中走り回るので、また明日会えることを楽しみにしつつ、ぼくも鍜治橋に向かいます…
一応撮影記(本館)でも書いたのですが、このあとに立哨の駅員さんからは我々マニアに対して「撮影マナーへのご協力ありがとうございました。」との放送がありました。マスコミさんが数字取るために鉄オタを叩くために僕らへの風当たりも良くないのは承知していますが、そんな放送が流れるとこちらとしても嬉しいというかなんというか。
こちらこそ、夜遅くまでありがとうございました。
最終なすのも記録程度ってやつでしょうがお出迎え。東北新幹線 で腐るほど乗った(割に飽きない)Jですが、ここ最近は上越でばかりお目にかかっていたような気がします。故にこうして東北で頑張るのを見るとほっとするというか…笑
令和3年10月1日
恥ずかしながら鍜治橋から夜行バスに乗るのは初めてだったんですが、JAM JAM LINERさんのJX451便にて新潟へレッツゴー。4列だからと侮るなかれ、なんと1人で2席使わせてくださるプランがあったので悠々と移動できました。最高ですね。
関越道から東武東上線あたりの赤新駅が取れるので高坂SAあたりまで起きてました...。んで越後川口SAでもなんか目覚めたのち、爆睡したと思ったらあっという間に駅南でした。新潟市って近いんだと改めて実感すると共に、夜行バスだといい感じに眠れないなとも思ったのでした。そりゃMaxときに乗っていても物足りない訳ですね...。
何はともあれ、安全かつ快適な運行をしてくださった運転手さんはどうもありがとうございました。
とりま入場券買って306C入線を出迎えるとしましょう。
まあ13番入線って正直黄色い線出ないとケツまで入らないんでしょうけれど、怒られる以前に寝不足でフラフラの僕にそんな度胸ないのでまあいいや。
それはそうと、Maxはいなくなっても後輩のE7も同じように可愛がってあげたいところです。実際かっこいいし、乗る分にはE5をも凌駕するぐらいだと思っているぐらいだし。いい車なんですよ。
あ、ラッチ近くにこんな展示がありました。ぶっちゃけ知らなかったのでおったまげましたが、JR東日本さんも粋なことしてくれますね。山吹Maxのお世話になってきた一介のマニアとして感謝申し上げます。
まあ、現場の社員さんにおかれては通常業務+これでしょうからここ最近は本当にご苦労が絶えなかったかと思いますが...なお一層頭が下がる思いです。
ちなみにこんな感じ。そういえば卒論関係で6月に新潟に来た時、出迎えの方がここで出迎えてくれたっけ…というのはさておいて。朝だからこんなんですけど、1348の発車前はまあ酷かったですね(笑)
この時間、後述の1308Cまでの3本はみんな13番発なんですね。撮ってくれといわんばかりに(ちゃうわアホ)。
個人的には12番入線も撮れればと思うんですけど、JとFの運用に関しては調査中なのでよくわかりましぇん。
後から来たマニアに忖度したらこのザマ。でもいいんです、今までいっぱい撮って乗ったし。
Maxがいなくなって気付いたことtがあるんですけど、当たり前っていつまでも当たり前じゃないんですね。頭ではお別れとわかっていても、どこかで当たり前の存在と思っていただけに、何とも言い難い気持ちです。
発車まで時間もあることですし、先頭まで移動して発車までお見送り。
立哨兼警備の駅員さんに予め黄色い線は絶対に出ませんから…とお願いして許可をいただいた上で三脚展開して動画を回していたのですが、Maxへの愛と感謝を込めて(は?)手を振って発車を見送っていたところ、運転席にいらした乗務員さんが手を振り返してくださいました。2名の運転士さん、改めてありがとうございました。
さて、Maxしか見えていない皆さんが見向きもしないFのときも記録。
僕自身、Maxと共に育ってきたようなものですからこの引退は寂しくて仕方ないのは変わりません。でも後輩のE7系はこれもこれで頼もしくかっこよく、好きなんですよね。今日までいろいろと災難もあったこの形式ですが、上越新幹線ならびに北陸新幹線の今後の為にも応援したくなったりするのでした。E4系とE2系1000代もE7系が置き換えてしまうといえど、なんというか嫌いには全くなれません。なんですかねこれ笑
このあとは万代口に出て、ドトールさんでコーヒーをいただきつつオンライン授業を受講。まあ授業内容なんて覚えてないあたり寝てたんでしょうけど、別にいいか。
駅に戻ってP11の着折を見送ります。
せっかく後輩が12番に入るならそれっぽく・・・ならなかったね。
きっと色々な人にそれぞれの思い出がある車両なんでしょうね。いつか忘れられているのかもしれませんが、ぼくは忘れられないなあ...
最後尾まで回って発車の記録を。なんだか知りませんが、ちょっとうるうるしてましたね。順当に行けば折返しであと何回かP11も見られるってわかっていましたが。
Maxとき316号としては最後の列車が発車。警備の駅社員さん、支社の?社員さん、新潟県警 のおまわりさん、お疲れ様でした。
E2系0代のあさまや今回のE4系Max(の上越分)にE2系1000代をも置き換えようとするE7系ですが、何度も書いて申し訳ないんですけど本当に快適だし良い感じにシンプルだし、よい。
なんか朝に見たような気がする車両が戻ってきました。ご覧の通りやる気ない写真だけど。
この後は再びオンライン授業を受講。ちょっと新潟を散策しつつ、今回もタイムズカーシェアさんでヤリスを借りていざ最後の和南津へ…といいたいところですが、金欠で高速に乗る余裕はないことと下道では時間が足りないことを鑑みて、燕三条上りホームで見送ることにしました。
J54、すっげえよく会う気がします。6月に新潟に行った時の307Cでも前回のMax合宿の帰路も乗りましたし、最近必ずといっていいほど遭遇します。腐れ縁ですねえ(笑)
今回の改正で新ニシのJからも廃車が出てしまっている可能性は無きにしも非ずですが、まだまだ元気に走っていてほしいものです。
今まで330Cはそれなりに撮影しました(知らんけど)が、これでMaxの330Cも最後。11番線発なのに1000番台の列番じゃないのは特急いなほ号との接続がないからなのでしょうか?というのはさておいて、最後に爆速で駆け抜けるMaxを記録できて何よりです。
まあこれはよくないですけどね。
さて、これが僕にとって最後の定期Max撮影と相成りました。Twitter やブログを始める前だった中学生の頃、今も愛用しているビデオカメラとガラケー片手に東京でMaxを撮っていたのが昨日の事のようです。
少し寂しい気持ちになりつつ、なんと以前浦佐でお会いしていろいろと有意義なお話をしてくださったFFさまがいらっしゃったので追いかけて()ご挨拶。改めてありがとうございました...またお会い出来たら光栄です。
ラッチを出る前、こんなものがありました。鉄の塊が言語をしゃべることはまずありえませんけれど、こういうのを見るとほっこりしてしまいます。同時に寂しくなったのは言うまでもない。
こちらは乗車位置案内。PPのものも生きているのは突発で湯沢以北でも運転される可能性を見越して残していたのか、はたまた半年もすればPそれ自体が消えるから放置されていたのか...。真相は中の人のみぞ知る。
次に訪れた時にはもう少し寂しくなっていそうです。やがてFのものさえあれば事足りてしまうでしょうし。
あと入場券を買おうとしたら、「Maxとき見学のお客様は...」という貼り紙もありましたね。
そんなこんなで燕三条を後にして、同じく車でいらしていた例のFFさまに改めて御礼申し上げたのちに撤退。今度お会い出来たらゆっくりとMaxの話で盛り上がれたらいいなと勝手に思います。
燕三条の駐車場は1時間まで無料とのことで、58分の駐車時間でギリギリ出場。ラストランにご同行いただく先輩を結果としてお待たせしてしまったのは改めて申し訳ございませんでした...。
ちなみに国道を北上していたら前にチンタラフラフラと走るシエンタがいたのですが、なんか車内で運転手と助手席の人間がイチャイチャしていたようで大変羨ましいと思うのでした。幸せならナントヤラだし赤の他人なんかどうでもいいんですけど、一つ言うなら後ろに迷惑かけんといて欲しかったです…笑
先輩と合流し、駅南のドンキの中にある政家(まつりや)さんというタレカツのお店で夕食。ぼくは気分的に蕎麦が食いたかったんでざるそばですけどね笑。
一応、6月に滞在していた際にはタレカツもいただきましたが、大変美味しくいただいたのを覚えております。皆様も新潟にお越しの際は是非お試しあれ。
食後、時間調整ということで先輩と僕でゲーセンに行き電車でGOをプレイしました。ぼくは確か名鉄のローカルで山王から栄生までやりましたけど、やっぱ難しいですね…笑
閑話休題(n回目)。
階段にはこんなものが。駅社員の皆様もお忙しいかと思いますが、こうしてマニア心をくすぐるものがあると心が温まるなとも感じます。ありがとうございます。
これもきっと貼り替えられてしまう...。
既に朝の段階で撮ったものですが、最後にここで記念撮影。こんな盛り上がったラストランなんてあまりないですよね、しかもJRさん自らいろいろと企画してくださったものって。
いかにも最終列車といった感じでしょうか。8両なのに9号車から16号車で運転される意味不明な*1列車も、これで本当に最後。
ラチ内のNEWDAYSさんで高い方のぐい吞みだけ購入して、既に購入済の酒と共に1348Cに乗り込むこととしましょう。
数カ月前なんて誰もバルブしていなかった337Cですが、ラストラン当日とあってご覧の通り。P52も337Cも散々撮りましたから、スマホでさくっと撮っただけです。
P52もいっぱい撮ったしきっと団臨で会えるよね、またね...と思っていたら爆速で解体線に入ってしまったのが悔やまれますが。
こんな当たり前も、もうないんだなあ。
当たり前の存在がある日ふいに消えてしまうのってこんなに寂しいんだなと思います。もちろん、例えばAE100の引退なんかも寂しかったですけど、一緒にいる時間が長かっただけあってか、あれ以上の寂しさでした。
そうそう、新潟駅にはこんな装飾もありましたね。絶対これ駅員さんの業務量増えてるんだろうな...。本当にお疲れ様でした。楽しませていただいた一介のマニアとして、御礼申し上げます。
さて、最後のMaxとき348号東京行のドアが開く時間が近づいてきました。
自由席車両の9から11号車はコロナ禍前を彷彿とさせる行列だったのが印象的でした。マニアも親子連れも一般客もいっぱいいました。まあ僕は正直指定取ってたんで高みの見物でしたけどね(笑)*2
ですが、そんな大量の客を捌くが為に生まれたのがE4系Max。高崎からは1634人が座れるとだけあって、改めてコイツ本当に頼もしくかっこいいな...と思ってしまいました。12号車トウ側にいたもんで、自由席に座れずデッキで立ち尽くす傲慢そうな出張族を見ていた時には…いやなんでもないです。
実際、Mとき側のハザでも途中から空席はありましたし、Mたに側も空席は1階中心にあったでしょうし、最後の最後でMaxの本気を見ることができたなと思います。最後の最後でまた推しポイントが増えてしまったのも切ないものです。
これ、次に新潟に行った時は見られなさそう。
あ、ちなみに僕が最後に乗ったMaxはP12編成。
いつだったか新潟から燕三条でも乗っていましたね。
てか数日前のMax合宿でも乗ってたか。最後の思い出作り、よろしくね。
んで僕らも着席。飲みたい酒だったのもありますけれど、上から白黄青ってのはそういうことです…。
思えば2016年度末に消えていたはずのMax。ぼくがお酒を飲める年齢まで頑張ってくれたのは理由が理由なのでいろいろ複雑ですが、それでも結果としてあの日まで楽しむことができたのは何よりです。
撮っていればブログネタになったのでしょうが、2407Cとして湯沢に到着後に新潟まで回送されてきたP11編成を観測することができました。実質的な廃車回送なのかと思うと辛いですが、最後に会えてよかった。人生初ガーラなど、お世話になりどうもありがとう。また会えますように。
新潟名物?対面乗り換えの記録も一応…ってそれ自体は消えないけどさ。
E4系自体とE653系はデビューした年もほぼ一緒かと思います*6。かつて日暮里あたりで離合していた彼らが新潟でもこうしてバトンを繋いでいるのはちょっとエモいような。知らんけど。
今までちゃんと撮った事なかったような。Maxらしさを詰め込んだ…と言えるのかは知りません。
そんなこんなで、20時21分、定刻通り新潟を出発。
乗換ホームから駅員さんがお手を振ってくださったのが感動的でした。こちらも誠に僭越ながら振り返させていただきました。駅員さんありがとうございます。
新幹線ってほんと速いもんで、新潟から20分少しでまもなく長岡ですって。切ない。
せっかくですから、恥ずかしげもなく、Maxらしい内装も御手洗に行くついでに記録。スマホでしたけどね。
あの時にあんな思いで昇ったり下ったりした階段とも、機器室の間を通るデッキとも、お別れです。
たぶん連結後のどこかで撮った写真。正直ラストランだからって車内探検してセルフ車掌なんかする気はさらさらなかったんですけど、寂しさを紛らわすべく酒盛りしていたら御手洗が近くなってしまいまして…笑。どうかご容赦を。
Maxの1階席、こんなに低かったんだ。赤の他人が大嫌いなので、普段駅に着くとカーテンを下ろしてしまっていましたが、そういやこんな低さなんだなと再確認。
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個人的にはMaxの1階席に乗ったときに、晴れていたらですが、フルリクライニングで空の青さを堪能するのが醍醐味かと思っていました。
2階席のそれとは違い、下から見上げる感じがなんとも好きでした…。
それはそうと、連結後に一瞬自由席になったのはなんだったんでしょうね…笑。普段は1348→2348Cの12号車を自由席として販売しているようですので、それ関連でしょうか。もしかして差額返金!?だなんて思ってませんよ(震え声)。
なお、高崎発車後には、車掌さんから惜別の放送がありました。以下に一部文面を貼らせていただきます。
「…E4系新幹線について、ご紹介いたします。『Max』の愛称で親しまれましたこの新幹線は、1997年の運転開始以来20年以上の長きにわたり、大変多くのお客さまにご利用いただきましたが、本日10月1日を以ちまして定期運行を終了いたします。
大変多くのお客さまにご利用いただき、大変多くのお客さまに愛していただきました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。
E4系新幹線を2つ繋げた16両編成の乗車定員は、世界最大の1634人と、まさに『Max』という名に相応しい車両でした。現在日本で唯一のオール2階建て新幹線は、大量輸送からスピードアップへと時代が変わったことで、新型車両に出番を譲ることとなりました。しかし1階席・2階席からの景色は、他の新幹線にはない、Maxならではの眺めでした。本日10月1日で、定期運行を終了いたしますが、E4系Maxは、いつまでもお客さまの心の中を走り続けます。
東京駅到着までの間、E4系Maxの空間をお楽しみください。ありがとうございました。」
なんと切ない…。物心ついてからのたくさんの記憶が蘇りました。
中略。
高崎から東京なんてホントあっという間ですよね。1時間しないじゃないですか。そんな上越新幹線Maxとき348号が大宮から上野を走行している時にもう1本の酒をカシュッとしてしまい先輩にドン引きされたMaxヲタクがいたそうですが、まあいっか。え、いや、僕じゃないっす。
途中で1分ほど遅れていましたが、終着・東京には定時で到着。運転士さんにおかれましては回復運転お疲れ様でした。きっとMaxは全速力で走っていたんだろうな、最後にそれを堪能できたのはよかったです。まあ酔ってたからそんなこと考えてもいなかったけど。
これでMaxと僕との思い出も、一旦終止符が打たれました。
初めてMaxに乗ったとき、まだ1歳だった僕は母に抱えられ盛岡行きMaxやまびこではしゃいでいました。あれから21年近く経ち、僕も一応数字上は大人になりました。
Maxの人生(車生?)は予定より長くなりました。もっとも引退前の1カ月だけなんちゃって真剣部だった山梨の若い衆あたりは5年前で引退だったなんて知らないんでしょうけど爆笑。そしてぼくの人生もこのラストラン当日まで受験に何にと思い通りに行かなかったことも多く、思えばお互いシナリオ通りとはいかなかったかなと思います。
でも、大人になった僕が定期運用最終日に立ち会えたのは、Maxヲタク冥利に尽きます。Maxは本当はぼくが高校生の頃にいなくなっていたはずの新幹線、小さい頃から大好きだった新幹線。
決して喜べない理由がそこにあるとはいえ、最後に大人になった僕を乗せてくれてありがとう。
なお会う約束だったFFさまとは結局終電の関係で会えずじまい。申し訳ございません、またAE100ラスト以来会ってない彼、何かのタイミングで会えたらいいなあ。
んで、東京の駅員さんがまた泣かせにくるような温かい放送をしてくださったので、そのうちこちらで動画に残せた文面だけ貼らせていただきます。
「…1997年12月に、東北新幹線でデビューいたしました。
8両の編成を活かしてつばさ号と連結した列車や、2本を繋いだ高速列車として世界最大定員となる1634席の16両編成など、フレキシブルな対応ができた車両でした。また、実は北陸新幹線長野駅まで乗り入れることができる車両も存在し、実際に臨時列車のみとなりましたが、Maxあさまとして長野・東京間を走行したこともあります。
東北新幹線での活躍は2012年秋で終了となり、その後は上越新幹線で活躍し、2014年に現在のデザインとなる車体中央を朱鷺色のラインに変更し、親しまれてきました。
通勤通学のお客さまには着席サービスの向上を、ご旅行のお客さまには2階席からの素晴らしい車窓を提供してまいりましたE4系ですが、この度時代のニーズに伴い引退が決定し、本日定期運行ラストランとなりました。
東京駅ではE4系でご出発・ご到着の多くのお客さまをお迎えすることができました。皆様のご利用に、感謝いたします! 明日からはE4系に代わり、最新型のE7系を増やして運転いたしますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
本日はE4系Max・定期運行ラストランを、多くのお客さまにご利用いただきまして、誠にありがとうございました!」
駅員さん…。完全に泣かせに来てますね…。
22時40分ごろ。聞きなれた東京駅の東の発車ベルが鳴り終わる前にP12編成と高崎から連結したP17編成は回送列車として東京駅を去っていきました。
これで僕も東京駅でMaxを見ることはないでしょう。いっぱい東京でMaxを見送ってきましたので実感は湧かないけれど、改めて長い事お世話になりました。沢山の素敵な思い出を、どうもありがとう。
今年度でぼくも大学を卒業し新たな道へと進みます。このラストランの2日後の試験で最高の結果を残すことができた僕は、春からは新天地で心機一転頑張ることが決まりました。はじめて自らの実力で志望校に受かるという成功を収めてから定期Maxを見送ることができなかったのは不徳の致すところですが、本当のラストランに間に合った訳ですから、心置きなく大手を振って見送ろうと思います。
Maxが保存されるのは新津のP1だけかもしれません。しかし、いつかまたMaxに会いに行くことができる日を楽しみにしたいと思います。
さてさて、
急ぎ足で指定券を記念にいただき、先輩には時間なくてごめんなさい、ありがとうございましたと伝え、足早に最終のかいじ59号に乗り込みました。ダイヤ乱れの影響かいつもと違う2番線に入ってたけど、はちおうじ号もそうだった気がするしまあいいや。
無事に乗車したのち、寂しさが込み上げてきて泣いていました...と言いたいところですが、ぶっちゃけ寝不足だったんで甲府まで爆睡してました。新宿あたりの記憶が既になく、気づいたら見慣れた甲府駅。ああ帰ってきてしまったんだなと思うと同時に、Maxは最後までやり切ったから心入れ替えて勉強がんばろうとも思いつつ出場して家まで帰って、この遠征は終了。お世話になった皆さま、ありがとうございました。
以上、長い長いおでかけ日記へのお付き合いありがとうございました。まだまだMaxとの思い出を残すつもりの僕なので、きっとまた会えるでしょうから、その日を楽しみにしておこうと思います。
お読みいただきありがとうございました。
あとがき
定期の実質的なラストランは越後湯沢始発のMaxたにがわ416号でしょう。正直そちらにも乗りたかったのですが、そうなると終電がなくなってしまうのであえなく断念。P13編成という思い出のある編成での運転であることも数日前から察してはいましたが、仕方ないね。
でもMaxとき348号も思い出の列車でしたので、この選択に悔いはないどころか、むしろ最後のMaxとき348号に乗車できて光栄です。
大好きな祖父母に会いに行った帰り道、特急つがる+特急いなほ+Maxとき348号と乗り継いで戻ってきたこと。つがるが大館で運転打切りとなり、秋田のみどりの窓口で払い戻しするついでに駅員さんにお願いしていなほのロザをとっていただいた後、新しくなった新潟駅でシームレスな移動を体感しつつ、ガーラ湯沢から臨時Mたにがわ上野行で乗ったこともあったP13編成のMaxとき348号に乗ったとき。ほぼほぼ徹夜でMaxを一日追いかけた帰り道に乗ったのもMaxとき348号。新潟滞在時によく見送っていたのもこの列車。もちろん1348C→2348Cに限りませんが、数々の思い出が蘇っては目が曇ってきました。
乗り鉄目線で、またひとりの客として、最後の思い出作りとなった今日この日。悔いはありません。楽しかったなと思います。
この遠征でお世話になった皆様には重ねてお礼申し上げます。どうもありがとうございました。
そして、E4系Max。
ぼくが生まれた時には新型車両としてMaxやまびこ・Maxなすの号として活躍していたね。ぼくが初めてMaxやまびこに乗った頃、上越新幹線のMaxあさひ・Maxときとして上越新幹線でもデビューしたり、軽井沢からの需要を拾うべく長野新幹線Maxあさま号として臨時で運転されたり、MaxのM・Multiの名に恥じぬ活躍で僕たちマニアを魅せてくれました。
本当であれば2016年度末で引退していたはずでした。そのニュースを知った当時小学生高学年のぼくはショックだったのも覚えています。
しかし、あの憎い震災を受けて延命され、あの台風で後輩・E7系の数が減ってしまったことでまた延命され、幸か不幸か今日までMaxは運転されました...もっともその理由は個人的には喜ぶことができませんが。
震災から立ち直ろうとする東北に向けて、東北応援のステッカーも誇らしげにMaxやまびこ・Maxなすのとして輸送という使命を果たしていた姿は、幼心に頼りがいがあり、ひとりの東北人としても嬉しかったのを覚えています。まあJとかRとかUとかも同じステッカー貼ってたし、彼らにも同じ気持ちだったんですが。
また、高速列車として世界最大の1634人の定員を活かして各地への輸送を支えていたのも、今思うと頼りがいがあってかっこいいなとも感じます。
たとえば、まあこれ8連ですけど、コロナ禍にもかかわらずスキー需要を拾い満席で最後の冬を走ったMaxは本当にかっこよかったです。私は一介のマニアですけど、現場の社員さんからしたらこの収容力は大変頼もしいものがあったのではないかとさえ邪推します。
そして、2階席からの眺めは決して他の車種では楽しむことのできないものだったのではないかなとも思います。かくいう僕は先述の通り、1階席で後ろも気にせずフルリクライニング+青空を見上げるというのも好きでしたけどね。
個人的なことを申し上げれば、
1歳のころ、親に抱きかかえられて初めて乗った新幹線であること。
八戸や新青森発着のはやての車内からよく眺めていたこと。
親戚の家に行くにあたり、Maxやまびこ号で沢山乗ったこと。
現実が嫌になったとき、東京駅に逃げてきてMaxを眺めたり動画撮ったりして、楽しんだこと。
人生が本当に嫌になって死にたくなったあの時、Maxを撮ってMaxに乗ってなんとか立ち直ったこと。
大好きなおじいちゃんおばあちゃんに会いに行った帰りに乗ったこと。
新幹線を撮る難しさを教えてくれたこと。
撮り鉄という趣味の醍醐味を改めて教えてくれて、新しい楽しみ方さえも教えてくれたこと。
Maxを追うがためだけに車を運転しまくり、結果として運転技術の向上に役立ってくれたこと。
親友とMaxを追っかけたことで、彼との絆が一層深まったこと。
これらはほんの一部の思い出ですが、Maxの中でもE4系には本当にお世話になりました。
改めて、Maxありがとう。
生まれた時からずっと見てきたMax。
22年という長いようで短かったこの期間、大変お世話になりました。ぼくの人生にMaxは、特にE4系Maxは、絶対に欠かせませんでした。
引退はどう捉えても寂しいです。
しかしながら、当初の予定よりずっと長く頑張ってくれたMaxが当初より明らかに多い思い出をくれたのは事実です。数えきれず、一言で片づけられないような思い出を、どうもありがとうございました。こんなに最後まで追いかけてまで思い出を作ろうと思う程に熱中できた電車がMaxでよかったです。
ラストランの類なんぞ行きたくない論者のぼくですが、それでもMaxのラストランにひとりの客として乗車すると共に最後に立ち会えたのは光栄です*3。
まだまだラストランの団臨などがあるとはいえ、寂しさは拭えません。でも逆に言えば、こんなに熱中できる車両のヲタクをできたことは幸せなのかもしれませんね。
辛くなったらまた東京に逃げかえれば新幹線ホームで凛々しく待っていてくれる気がするし、仙台で降りたらMaxやまびことして堂々と発車を待っている気がするし、冬の上越Maxの1階席に乗ればスプリンクラーを堪能できる気がします。
それが叶わないのはわかっていますし、だからこんなに寂しいんです。
でも、ぼくが生まれてから今までの間、Maxがくれた沢山の思い出は何にも代えられません。素敵な思い出をたくさんもらったのは紛れもない事実です。寂しさも喪失感も隠す気はありませんが、思う言葉は「ありがとう」「お疲れ様」「お世話になりました」これに尽きます。
E4系Max。これまで僕の人生を支えてくれたこと、沢山の思い出をくれたこと、いろいろな所に連れて行ってくれたこと、本当に本当にありがとうございました。
いつか保存されたMaxの許に、家族で遊びに行ける日を楽しみにしています。その時はどうぞよろしくね。
...いや、まずはラストラン団臨なんかでもよろしくだったね笑。また会う日を、PPより首を長くして*4楽しみにしています。
何はともあれ、ぼくはMaxのヲタクができて幸せでした。本当にありがとう。
また会おうね、Max!